いつもメルマガ購読ありがとうございます。
ITSの齋藤です。
大変ご無沙汰しております。
そして、遅ればせながら明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
気付けばもう2024年。約1年間メルマガさぼってました。
というより去年は、ベトナムで開発中の新システム「Cladia Pro.」の完成に
集中していたのでメルマガ書く暇が無かったんです。。。
でもようやく売れる状態まで来たので、今年は販促頑張ります!
今回も取引先の方など、私の独断でメルマガ購読者に入れさせて頂きました。
興味の無い方は、下の「メルマガ解除」から解除なさってください。
また、興味のある方は是非「バックナンバー」をご覧になってください。
さて、今回のテーマですが…
数年ぶりに実家で年末年始を迎えて来ました。
久しぶりに母親や弟と話しをしている間に、過去の自分を振り返ったり、
勇気づけられた先輩の事を思い出したりして、今年はあの先輩の様に生きよう!
と思ったりしてました。
そこで今回は、
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第2章【私が見て来た”仕事ができる”人】
・私のスランプを救ってくれた先輩
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というテーマで、先輩や弟の経験などを混ぜなら、
色んな生き方などにも触れて行こうと思います。
私は2004年12月に、香港で起業し今の仕事をしてます。
今年の12月には20周年を迎えます!
20年もつ会社は0.03%だと言われています。
今年1年頑張って、0.03%の中に入ろうと思っています!
起業できたのも、20年続けられてきたのも、この先輩の影響があったからだと思います。
もちろん、起業してからは、お客様や友人に助けられながらここまで来ました。
そんな先輩の事をお話しします。
今回のテーマの、”仕事ができる人”の中には「立ち上げ屋」と「閉め屋」がいます。
「立ち上げ屋」にも、資金が無い中での「立ち上げ屋」と、
親会社が在って、潤沢な資金がある「立ち上げ屋」では全く違います。
そして、一番大変なのが「閉め屋」です。
この先輩と私の弟は、この「閉め屋」を経験しています。
「閉め屋」とは、会社をたたむ人です。
私の弟の場合は、土建業で専務まで昇り詰めましたが、
突然社長が亡くなり、会社をたたむ事になりました。
銀行からの借金が4億もあり、社長の生命保険と設備や重機を売ってなんとか返済し、
残ったお金で買掛金の支払い。
しかし、残ったお金には限りがあったので、小規模事業者にだけ支払し、
大手企業への買掛金は踏み倒したそうです。
そうとう苦労したと聞きました。
今では普通のサラリーマンとなり、一見のほほ~んと生きている様に見えますが、
弟にとってこの経験はかなり辛かったようで、今の会社でも常務にならないか?
と言われたようですが断ったそうです。
そして次は私が尊敬する先輩の話しです。
私も社会人となり、地元の工場で生産ラインを担当させられました。
若い新卒の女の子やおばちゃんの寄せ集めの素人ラインでした。
全く成果が出ず上から怒られながらライン長を続けていた時、
中途採用で同じブロックでライン長をしていた7つ年上の先輩から声を掛けられました。
”飴と鞭”とよく言いますが、私が先輩に教えてもらったのは”飴”のあげ方でした。
25人もいるラインの女の子達を集め会議をしました。
どうやったら不良品を少なくし、生産数を上げられるか?
女の子達の率直な意見を聞きました。
そして生産数の目標ラインを決め、目標を達成したら、全員に私の自腹でケーキを買ってあげる
という約束をしました。
そしたら翌日からラインの女の子達のモチベーションが上がり、
約1週間で目標を達成!
その後も最優秀ラインとして工場長からお褒めの言葉をもらいました。
その成果を認められたのか、今度はブラジルへの赴任話しが出ました。
候補は私とその先輩です。
先輩は結婚したばかりで、お腹に赤ちゃんがいる奥さんが居ました。
そんな先輩を遠く離れたブラジルに送り出すのは残酷です。
私は自ら手を挙げてブラジル赴任する事になりました。
その数年後、競合他社に負け、ブラジル工場は撤退する事になりました。
その頃私は東京本社に居たのですが、「閉め屋」はその先輩が行く事になったと聞きました。
弟の例で挙げた通り、工場を閉めるなど大変な仕事です。
しかも海外です。
先輩は一人でブラジルに立ち、約1年掛けて工場をたたんで来ました。
その後も中国工場の撤退で「閉め屋」として中国に来て、
大変な思いをしたようです。
その成果もあって、先輩はその後、本社に戻り役員になりました。
今では定年退職しましたが、従業員をリストラし、会社をたたむという事は
非常に残酷で辛い仕事だと思います。
私もリストラをする立場を経験しましたが、従業員の家族まで路頭に迷わせる事になります。
本当に心苦しかったです。
そんな経験をして今に居ます。
コロナ下は中国にも行けず、この先どうしようと何度も考えましたが、
沖縄県からの押しもあって、ベトナム進出を決めました。
我社の主力商品のERPは、テレワークなども考えると、今のニーズに合っていません。
中国経済の低迷で2度目の「チャイナ・プラス・ワン」が必要とされている時代、
スマホやタブレットでも使えるクラウド型ERPに切り替えて行く必要があります。
その為に、東南アジア向けにベトナム法人を作り、中国に残るお客様向けには、
私が代理出資をした東莞の内資会社もあるのですが、
モチベーションを上げる為に、2016年に私が可愛がっていた社員を総経理にして
”飴”をあげました。
ところがコロナ以降「香港と日本の会社の外注に徹する」と言っておきながら、
去年辺りから香港のお客様を横取りするような悪さをする様になってきました。
なので私は、去年新たに広州に100%外資の私名義の会社を設立しました。
今後の中国市場は、この広州の会社でやって行きます。
少し宣伝になりますが、今回ベトナムで開発した新システム「Cladia Pro.」は、
QRコードを使ったスマホでの在庫管理システムも備わっています。
もちろんERPなので、MRPも生産管理も追加しました。
最大32か国語対応で、WindowsでもMacでも使えます。
もちろんベトナムで開発したので、ベトナム語も標準で入っています。
システムは老朽化して行きます。
興味のある方は、遠慮なくお声がけください。
という事で、今回は少し宣伝も入ってしまいましたが、
私は色んな人に支えられ起業し、20年目に入る事ができました。
苦しい時は、「あの先輩だったらどうするだろう…」とか思い出しながら続けて来ました。
皆さまにも、そういう憧れの先輩などがいるといいですね!
さて、次回は…
前回のメルマガで予告した、本来今回お話しするはずだった
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第2章【私が見て来た”仕事ができる”人】から
駆け出しの私を拾ってくれた社長さん達
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というテーマでお話しをしたいと思います。
では皆さま、2024年も宜しくお願い致します。
ではまた次回お楽しみに!よろしくお願いします。
2024年1月19日
【齋藤社長の情報発信室】
齋藤 利和