このサイトは、中国で15年ビジネスを展開してきた私が、中国ビジネス、中国情勢、中国でのIT・インフラ、経済、世界情勢、日本の政治、沖縄情勢など、勝手に情報配信していくブログです。
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齋藤 利和
ITSシステムサービス株式会社(日本法人)
代表取締役
ITS System Service (HK) Co., Ltd.(香港法人)
Managing Director
東莞市艾提思軟件科技有限公司(中国法人)
董事長(会長)
1965年6月生まれ(56歳)
山形県飽海郡遊佐町出身
ブラジル → 横浜 → 中国を経て
2017年12月 沖縄県那覇市に移住
プロフィール・経歴
【学歴】
・山形県立酒田北高等学校卒業
・山形情報経理専門学校中退
テレビコマーシャル(CM)を作るクリエイティブな仕事がしたくて、放送芸術の勉強をしたかったが、長男である為「実家から通える学校に行きなさい」と母親に言われ、実家近くには大学も無かったので、山形県鶴岡市の専門学校へ進学。
特にコンピュータに興味があった訳でもないが、「放送芸術専門学校」もダメ、仙台の「情報ビジネス専門学校」もダメ、「調理師専門学校」もダメと言われ、消去法で鶴岡市の専門学校「情報処理科」に入学。
BOBOL、Assembler、FORTRAN言語などを勉強するも、面白くなく、退学。
その後、調理師資格を取りたく、酒田市のファミレスでパートをしながら調理を目指す。
【1985年】
以前、寿司屋を営んでいた親戚が、経営破綻で首吊り自殺した事そうで、「調理師の道は絶対ダメだ」と母親に言われ、渋々地元企業に就職。
東京世田谷区に本社を持つオーナー会社の弱電製造業 酒田工場に就職。
放送技術には憧れていたので、オーディオ、ビデオ機器には興味もあり、カーステレオデッキの生産工場に入社。
【1988年】
入社も間もないのにブラジル勤務を命じられ、ブラジル サンパウロ市へ転勤。
Ford自動車電機部門工場で、品質クレーム担当として駐在。
その後、自社工場が設立され、ブラジル工場に勤務。
【1992年】
ブラジル勤務を終え、東京本社技術部に勤務。
横浜市都筑区に移住。
Ford自動車担当として、アメリカ(シカゴ、ニューヨーク、デトロイト、マイアミ、ロサンジェルス)、カナダ、ロンドン、パリ、メキシコ、スペイン、ポルトガルなど、Ford社関係への海外出張を何度も経験。
【1996年】
オーナー社長の息子(現在は社長)が新設した「企画室」に異動になり、システム改革を担当。
翌年、2000年問題対策の為、当時の「電算室」に異動させられ、その翌年「情報システム室」として改名し、若くして課長職に就任。
JD Edwards(現在のOracle社)のERPシステム導入のプロジェクトリーダーを任され、海外工場の現状把握の為、シンガポール、マレーシア、インドネシア、香港、中国の各工場や事業所へ出張を繰り替えすようになる。
【2003年】
中でもシステム化が急務であった中国工場(広東省東莞市)に、自ら志願して転勤。
中国工場のシステム部長に就任。
その頃、直属の上司である常務(社長の息子)に、「2000年問題対策の為に増員した情報システム室を子会社化する為の事業計画を出せ」という課題を与えられ、ERP導入のかたわら、新規事業計画を模索。
当時の日本の製造業は、安い人件費を求め中国進出する企業が多かった為、「香港に法人を作り、中国に進出した日系企業向けにITサービスを行う」という子会社の事業計画を提出。しかし計画は「日本でやれる事業計画を出せ!」とのことで常務から却下!
その頃、中国・香港ではSARSが流行!
日本との往来は禁止され、事業計画についても対立したまま、常務との関係にも影響が出てしまい、18年間務めた会社を自主退職。
【2003年12月~2004年】
私には未だ、「中国でITサービスをやる」というビジネス構想があったが、人脈が無く、起業しても顧客開拓は無理。
まずは一旦どこかのIT企業へ就職し、その後独立しようと考え中国で就職活動。
そんな中、中国で日本料理店を営む日本人から「2階で日本人向けスナックを一緒にやらないか?」と誘われ、開業。
当時、中国人が営む日本人向けのカラオケスナックは数軒あったが、日本人オーナーのお店は無く、日本料理屋の2階であれば集客も見込める。
私にとっては、そのお店に来てくれるお客さんは起業の為の人脈になる。
元々料理人にも憧れていた私にとっては、水商売も嫌いではない。
そう考え、退職金を全てつぎ込んで、日本人向けカラオケスナックを開店。
1店舗目は成功したが、他の投資者との揉め事もあり悩んでいたところに、「2店舗目を出すなら出資してもいいよ!」というお客さんが現れ、独立!
2店舗目は、その街で一番のお店を目指し、広さ、内装、スタッフにもこだわり、個室も完備した、街一番豪華なお店を作る。
しかしその夏。
小泉靖国参拝で中国では暴動が勃発。
在中日本領事館から、日本人の外出自粛令が出され、2ヶ月間お客はほぼゼロ。
3ヶ月目にして、家賃が払えずお店は閉店。
約1,000万円の借金を背負って倒産する。
【2004年12月】
しかしその間に知り合った人脈は多く、お店を経営しつつ、フリーランスでITサポートの仕事ももらえるようになり、日系企業3社と契約が出来た時点で香港で起業。
香港法人「ITS System Service (HK) Co., Ltd.」を設立。
その後
2008年:中国法人 艾提思電脳有限公司を設立
2008年:日本法人 ITSシステムサービス株式会社を設立
そして、2017年12月。
ペーパーカンパニーだった日本法人を、東京から沖縄に移転。
暫く、沖縄と中国を往来する生活をしていましたが、コロナの影響で中国に行けなくなり、今は沖縄を拠点に、ベトナム進出へ向けて準備中。
ここは、そんな私の経験を生かしたブログにしていこうと思っています。