そして去年、2017年9月の事です。
歯の治療の為、山形の実家に帰っていた時の事です。
突然、夕飯の支度をしていた母親が、「あなた、沖縄で仕事するのをためらっているのはお金の問題なの?」と話しかけて来ました。
母親は未だ71歳と若いのですが、一人暮らしが長く、去年庭仕事中に高い所から落ちて、肩を怪我した後、思うように腕が上がらずリハビリに通うようになり、不自由を感じ始めた老いた身体に不安を覚えたのかもしれません。
「沖縄なら日本だし、中国にいるよりずっと近いしね!」
その言葉は、私に、「中国なんて遠い異国に住んでないで、私に何かあったらすぐに飛んで来れる日本にいなさい!」という意味だと感じました。
そしていよいよ好機が!
離婚して独り身の母親には、たまに面倒を見に来てくれる骨董商の社長の友達がいます。
別に付き合っているわけではありませんが、私はひそかに「彼氏」と思っています。^^
その「彼氏」まで私の沖縄行きを後押ししてくれることになったのです!
10月、一旦中国に帰った私は、社長とも相談しながら、東京に登記されている会社を沖縄に移すことを承諾してもらい、いよいよ私が一人で沖縄に行って何ができるのか?
という事を考えながら日々を過ごしました。
そして12月。
中国ビザ更新と、歯の治療の続きの為に、また日本に帰国します。
そして、母親とその「彼氏」にお金を借り、それを元手に、いよいよ東京の会社を沖縄に移す手続きを始めます。
全ての手続きが終わったのは、12月15日。
翌週2度目の沖縄訪問をします。
目的は、住む場所を探すための3泊4日間でした。
甲斐あって、良い部屋が見つかり、一か月後、1月20日から入居可能ということになり、一旦中国に戻りました。
沖縄で私に何ができる?
那覇に部屋も見つけ、会社も移転し、沖縄移住の準備は整いました。
しかし、私一人沖縄で何ができるのか?
次の沖縄行きまでの一ヶ月、ずっとそんなことを考えながら過ごしました。
私は中国でも、日本人が経営している貿易会社からとか、ホームページ制作のお仕事をもらったり、中国の日本料理屋から、中国人にも来てもらえるような、写真入りで中国語の説明が書いてあるようなメニューを作って欲しいという依頼をうけ、会社の仕事としてではなく、私個人の副業として何社か請け負ってきました。
価格も本業に頼む場合の半分とか、ただ同然とかでやってあげてました。
こういう仕事が沖縄でもできればなぁ~と、ボヤーっとしたイメージは持ってましたが、突然沖縄に移住してきた、沖縄になんの人脈もない私に仕事なんてくるのだろうか??
という不安を持ちながら、それでも私にできることは何かを、ずっと自問自答してきました。
その時出た答えが、12月に沖縄に行ったときに感じた不便さ!
これを表に出していけないものか?と感じたのです。